四字熟語【臥薪嘗胆】の意味とは/由来・現代語訳・使い方(例文)を解説

ハルちゃん
ハルちゃん
四字熟語「臥薪嘗胆」の意味とは、何ですか?
「臥薪嘗胆」とは、「目的や成功のために、苦労や努力を重ねる」という意味です。
みーちゃん
みーちゃん

この記事では、

臥薪嘗胆の意味
臥薪嘗胆の由来・語源
臥薪嘗胆の由来となった物語のあらすじ・現代語訳
臥薪嘗胆の使い方・例文

をお伝えします。
  
詳しくは記事に書いてありますので、お読み下さい。



【臥薪嘗胆】(がしんしょうたん)の意味とは?

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の意味とは、このような意味の言葉です。

・復讐のために、困難に耐えること
・目的や成功のために、苦労や努力を重ねること

【臥薪嘗胆】の読み方とは?

「臥薪嘗胆」の読み方は、「がしんしょうたん」です。
  
「がしょうたんしん」「ぎしんしょうたん」「がいしんしょうたん」などと読まれることがありますが、これらは間違いです。
  

【臥薪嘗胆】の由来・語源をわかりやすく解説

由来は「十八史略」に書かれている故事「春秋戦略」

「臥薪嘗胆」は、中国の歴史書「十八史略」に書かれている「春秋戦略」という故事に由来しています。
  
春秋戦略は、紀元前6世紀(春秋時代)の呉(ご)と越(えつ)の戦争の物語です。
  

【臥薪嘗胆】の語源は王の行動に由来している

呉と越が戦争を繰り返す中で、敗れた側が敗戦の屈辱と復讐心を忘れないために、

一方は、固い薪の上で寝る
一方は、苦い胆を嘗める

という、復讐心を忘れない努力をしていました。
  
その結果「復讐のために困難に耐える」という意味が生じたのです。
  
それが転じて、「目的や成功のために苦労や努力を重ねる」という意味でも使われるようになりました。
  
現在の日本では、後者の意味で使われることが多いです。
  

「十八史略」とは

「十八史略(じゅうはっしりゃく)」とは、曾先之(そうせんし)という宋末・元初の学者がまとめた中国の歴史読本です。
  
当初は2巻でしたが、明の時代に加筆・増補がされ、現行本は7巻。
  
「史書」など18の歴史書から重要な部分を抜粋したもので、子供や初心者向けにまとめられました。
  

【臥薪嘗胆】の由来となった故事「春秋戦略」の物語のあらすじ・内容

紀元前6世紀(春秋時代)の呉(ご)と越(えつ)は戦争を繰り返していました。

呉の王「闔閭(こうりょ)」の死

呉の王(闔閭・こうりょ)は、越の王(勾践・こうせん)との戦いに敗れ、大きな傷を負います。
  
そして、その傷が原因で亡くなってしまいます。
  
闔閭は息子(夫差・ふさ)に仇を取るようにと言い残し、夫差も父の仇を取る事を誓います。
  

「夫差(ふさ)」の仇打ち

夫差は父の仇を取るため、国の軍力を強化します。
  
自らは固い薪の上で寝て、その痛みを覚え復讐心を忘れないようにしました。
  
闔閭の死から3年後、夫差は越の王(勾践・こうせん)を打ち破り、父の仇を取ります。
  

越の王「勾践(こうせん)」の復讐

戦いに敗れた越の王(勾践・こうせん)は、復讐を誓い、富国強兵を目指します。
  
自らは苦い胆を嘗め、その苦味を覚え復讐心を忘れないようにしました。
  
この間、夫差は他国との戦争で呉の国力を低下させてしまいます。
  
夫差に敗れてから20年後、越は呉を攻め、夫差を滅ぼします。
  

まとめ

この物語に出てくる2つの言葉。

臥薪:固い薪の上で寝る
嘗胆:苦い胆(肝)を嘗(な)める

「臥薪」「嘗胆」どちらも、自分を苦しめることで復讐心を忘れないようすることを表しています。
  
これが転じて、現在のような「目的や成功のために、苦労や努力を重ねること」の意味になりました。



【臥薪嘗胆】(春秋戦略)の現代語訳・口語訳と書き下し文

呉王(闔廬・こうりょ)の家臣「子胥・ししょ」

呉王闔廬、伍員を挙あげて国事を謀らしむ。
呉の王である闔閭は、伍員を取り立てて国の政治を行わせた。
員、字は子胥、楚人伍奢の子なり。
伍員のあだ名は子胥といい、楚の国の人、伍奢の子である。
奢、誅せられて呉に奔り、呉の兵を以ゐて郢に入る。
伍奢が楚の王に殺されたので、子胥は呉国に逃げ、呉の兵を率いて、楚の都の郢に攻め入った。

呉王(闔廬)の死と政権交代

呉、越を伐つ。
その後、呉が越を攻めた。
闔閭傷つきて死す。
その戦いで、呉の王の闔閭は負傷して死んだ。
子の夫差立つ。
その後、闔閭の子の夫差が王位についた。
子胥復た之に事ふ。
子胥はまた、夫差に仕えた。
夫差讎を復せんと志す。
夫差は父の仇を打つことを決めた。

夫差の仇打ち

朝夕、薪中に臥し、出入するに人をして呼ばしめて曰はく、
夫差は、朝晩と薪の中で寝て、部屋を出入りする家臣に言わせた、
「夫差、而越人の而の父を殺ししを忘れたるか。」と。
「ふさよ、お前は越人が、お前の父を殺したのを忘れたのか。」と。
周の敬王の二十六年、夫差越を夫椒ふせうに敗やぶる。
周の敬王の二十六年、夫差は越軍を、夫椒山で討ち破った。

越王(勾践・こうせん)の和解の申し出

越王勾践、 余兵を以ゐて会稽山に棲すみ、臣と為り妻は妾と為らんと請こふ。
越王の勾践は、残った兵を率いて会稽山にひそみ、勾践は夫差の家臣となり、勾践の妻は召使いになることを求めた。
子胥言ふ、「不可なり。」と
子胥は「それはダメだ」と言った。
太宰嚭越の賂を受け、夫差に説きて越を赦さしむ。
呉の宰相の伯嚭は、越からの賄賂を受け取り、夫差を説得して越王を許させた。

越国の復讐

勾践国に反り、胆を坐臥に懸かけ、即ち胆を仰ぎ之れを嘗めて曰はく、
勾践は国に帰り、寝室に胆を吊り下げ、胆をなめて言った、
「女、会稽の恥を忘れたるか。」と。
「お前は、会稽山で受けた恥を忘れたのか」と
国政を挙げて大夫種に属し、而して范蠡と兵を治め、呉を謀るを事とす。
国の政治を大臣に任せ、自分は范蠡と一緒に兵を整え、呉を滅ぼすことに専念した。

愚かな夫差

太宰嚭、子胥謀の用ゐられざるを恥ぢて怨望すと譖す。
呉国の宰相の伯嚭は、子胥が自分の考えが用いられなかったことを悔しく思い、夫差のことを恨んでいると、嘘を言った。
夫差乃ち子胥に属鏤の剣を賜ふ。
夫差は、そこで子胥に属鏤の剣を与え、自害を命じた。

子胥の自害

子胥其の家人に告つげて曰はく、
子胥は自分の家族に言った、
「必ず吾が墓に檟を樹ゑよ。檟は材とすべきなり。吾が目を抉り、東門に懸けよ。以て越兵の呉を滅ぼすを観ん。」と。
「必ず私の墓に檟の木を植えてくれ。檟の木は棺の材料にできる。私の目を抉り出して、東門に懸けてくれ。そして越の兵が呉を滅ぼすのを見てやろう。」と。
乃ち自剄けいす。
子胥は自ら首をはねて死んだ。
夫差其の尸を取り、盛るに鴟夷を以てし、之を江に投ず。
子胥の言葉を聞いた夫差は、子胥の遺体を長江に投げた。
呉人之を憐れみ、祠を江上に立て、命けて胥山と曰ふ。
呉の人々は子胥を憐れみ、長江のほとりに祠を立て、胥山と名付けた。

越国の復讐

越、十年生聚し、十年教訓す。
越は十年間、国民と財力を増やし、軍力も強化した。
周の元王の四年、越呉を伐つ。呉三たび戦ひて三たび北にぐ。
周の元王の四年、越は呉を攻めた。呉は三度戦い、三度敗れた。

呉の滅亡

夫差姑蘇に上のぼり、亦た成ぎを越に請ふ。范蠡可きかず。
夫差は姑蘇山に登り和解を求めたが、范蠡は聞かなかった。
夫差曰はく、「吾以て子胥を見る無し。」と。
夫差は「子胥に合わせる顔がない」と言った。
幎冒を為りて乃ち死せり。
夫差は、死者の顔を覆う布を作り、それで顔を隠して自殺した。

【臥薪嘗胆】の使い方・例文

使い方・例文 その1(臥薪嘗胆の日々・臥薪嘗胆する)

何かを達成するために、苦労や努力を重ねる時・重ねた時に使われます。

・弓道の昇段試験に合格するまでは、臥薪嘗胆の日々を過ごすことになる
・臥薪嘗胆の日々を過ごしてきたおかげで、プロのピアニストになることができた
・臥薪嘗胆し、司法試験に合格した

使い方・例文 その2(臥薪嘗胆の思いで)

自分が努力してきたことへの思いを表現するときに使われます。

・司法試験に合格するために、臥薪嘗胆の思いで勉強してきた
・商品開発のために、臥薪嘗胆の思いで開発に取り組んできた

使い方・例文 その3(臥薪嘗胆の末)

自分が努力してきた成果を表すときに使われます。

・臥薪嘗胆の末、医学部に合格することができた
・臥薪嘗胆の末、病気を克服することができた

座右の銘に使われる【臥薪嘗胆】

「臥薪嘗胆」は、座右の銘に使われることも多いです。
  
「目標達成のために粘りつよく努力する」という、自分の強い気持ちを表現するには最適の言葉です。




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