散歩の語源は三国時代に流行した薬(五石散)と関係していた!

ハルちゃん
ハルちゃん
散歩の語源って何ですか?
「散発(さんぱつ)」という体がぽかぽか温まる薬の作用です。
みーちゃん
みーちゃん

散歩と体が温まる薬の作用、どのように関係するのか気になりませんか?
  
詳しい内容は記事に書いてありますのでお読み下さい。



散歩の語源は三国時代に流行した薬(五石散)と関係していた!

散歩の語源は「五石散(ごせきさん)」という薬の解毒

  
散歩の語源は「五石散(ごせきさん)」という薬と関係しています。
  
五石散は、不老不死や滋養強壮の効果があると信じられた薬で、中国の三国時代に流行。
  
五石散には、服用すると体がぽかぽかと温かくなる「散発(さんぱつ)」と呼ばれる作用がありました。
  
この散発がないと体に毒がたまってしまうため、五石散の服用後は散発を促すために歩く必要がありました。
  
この事から「散歩」と言う言葉が生まれたそうです。
  

「五石散(ごせきさん)」の危険性

  
五石散の原料は「鐘乳石、紫石英、赤石脂、白石英、硫磺」の5種類の石。
  
この薬は極めて毒性が強く、中国の長い歴史の中で最も人に害を及ぼした薬と言われています。
  
散歩の語源ともなった散発を促すための歩行運動がないと、中毒死することもあるというくらいの危険な薬でもありました。
  
現代の日本で散歩といえば気分転換やリラックスが目的です。
  
しかし、語源にさかのぼると、生命を守るために欠かせない運動であったようです。
  



散歩の語源と関係している薬・五石散は超猛毒薬だった

五石散は不老不死、滋養強壮の効果がある一方で欠点もありました。
  
それは、超猛毒薬だという事です。

散歩の語源と関係している薬・五石散を服用すると熱が出る

  
五石散を服用すると、散発しても体に毒素がたまり発熱してしまいます。
  
体が火照って服を着ているどころではないくらいだったとか。
  
冬でも冷水で体を冷やさなければ、夜も眠れないほどだったと言います。
  
この事から、五石散は「寒食散」とも呼ばれています。
  

散歩の語源と関係している薬・五石散を服用すると皮膚がただれる

  
五石散を服用すると、皮膚が敏感になりただれたそうです。
  
その為、お風呂にも入れない。
  
タイトな服も皮膚に刺激があるので、着ることができません。
  
五石散を服用していた人は皆、ゆったりとした服を着ていました。
  

散歩の語源と関係している薬・五石散を服用すると幻覚が見える

  
五石散には幻覚が見える副作用もありました。
  
やはり五石散は麻薬なのですね。
  
幻覚を楽しむために服用していた人も多かったようです。
  

五石散(ごせきさん)を広めたのはナルシストの政治家・何晏(かあん)

五石散(ごせきさん)を愛用していた政治家・何晏(かあん)

  
何晏(かあん)は、三国志では有名な大将軍、何進(かしん)の孫です。
  
何晏の母はかなり美人で、魏国の王・曹操の妾になった人です。
  
当然、何晏もかなりの美形!
  
何晏は、外出するときはメイクをする、鏡を持ち歩くなど、かなりのナルシストだったようです。
  
憧れの存在として、周りからも一目置かれていたといいます。
  

人々は何晏(かあん)に憧れて五石散を服用するようになった

  
何晏はかなりの美形だった為、人気者で人々の憧れの的でした。
  
その為、人々は何晏を真似て、五石散を服用するようになります。
  
五石散を服用することがステータスとなっていたのですね。
  
何晏の影響で五石散はどんどん広まり、大流行しました。
  

散歩とは

散歩は気晴らしになる

  
散歩とは、気分転換やリラックスのためにブラブラと歩くことです。
  
歩く事は気晴らしになるし、考え事に集中できたり、良い考えが浮かんだりするメリットもあります。
  
昼に散歩するのも良いですが、夜の散歩も最近人気なんだとか。
  
街の雰囲気が幻想的で、人が少ないので落ち着くそうです。
  

散歩は肥満の防止になる

  
散歩は肥満の防止にも役立ちます。
  
無理なく自分のペースで歩くので、楽しんで運動ができる。
  
お金もかからないので、趣味として人気が高まっているようです。
  

日本での散歩の始まりは幕末

勝海舟がオランダ人から散歩を教わった

  
日本での散歩の始まりは幕末です。
  
勝海舟がオランダ軍の医師から「散歩=プロムナード」を教わりました。
  
プロムナードは歩く事を楽しむ事!
  
時間のある時に街中を歩き回れば見聞が広がり、いつか役に立つ。
  
こんな事を言われたそうです。
  

勝海舟は江戸中を散歩していた

  
オランダ軍の医師から散歩を進められた勝海舟は、暇があれば散歩をしていたそうです。
  
勝海舟の功績である「江戸城無血開城」
  
西郷隆盛が江戸総攻撃を中止したのは、勝海舟が「江戸を火の海にする」と啖呵を切ったから。
  
こんなエピソードがありました。
  
これは、江戸中を散歩していた勝海舟が、「火消」が「火付」にもなる事を知っていたからだと言う事です。



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