判子(はんこ)の由来は浮世絵が大流行した理由と同じ版画だった!

ハルちゃん
ハルちゃん
判子(はんこ)の由来ってなんですか?
浮世絵に使われていた版画です
みーちゃん
みーちゃん
更に詳しいことは、記事をお読み下さい。


3つある!判子(はんこ)の由来

判子(はんこ)の由来 その1(浮世絵の版画の版木と混同してしまったため)

判子(はんこ)の由来は鎌倉時代に使われていた「印判」に始まります。
  
鎌倉時代は、現在と比べて遜色のないくらい公正な裁判が行われていたと言われています。
  
裁判の時に書かれた判決文に印が押されていたことから「印」が「印判」と呼ばれるようになりました。
  
浮世絵などの版画に使われる、木の板に文字や絵が彫られたものを「版木」といいます。
  
浮世絵の「版木」と「印判」はどちらも同じ様に文字が彫られています。
  
この二つを混同してしまったため、次第に判子(はんこ)となったようです。
  

判子(はんこ)の由来 その2(浮世絵の版画の版行と似ていたため)

  
江戸時代に浮世絵が大流行し、版画が使われるようになりました。
  
版木を紙に押し付けて版画にする事を「版行」といいます。
  
版木を紙に押し付けて版画にしている様子が、印を押している様子と似ている。
  
このことから、次第に「版行」が略されて「はんこ」となりました。
  
「判子」という漢字は当て字だそうです。
  

判子(はんこ)の由来 その3(浮世絵の版画の版木よりも小さかったため)

  
同じく江戸時代に浮世絵が大流行したときのことです。
  
版木を紙に押し付けて版画にしている様子が、印を押している様子と似ている。
  
印は版木よりも、小さいです。
  
小さい事を意味する「子」が使われ「版子(はんこ)」と呼ばれるようになったそうです。
  
その後、次第に判子は書類などに使われる機会が増えていきます。
  
「版」が判別や判断を意味する「判」という文字に変わっていったそうです。
  

判子(はんこ)の由来3つの説まとめ

  
判子の由来は3つですが、どれも浮世絵の版画と関係するものでした。
  
木に文字や絵を彫ったものを、紙に押し付ける。
  
大きさは違いますが、判子を押す事と版画って確かに似ていますよね。
  
江戸時代に浮世絵が大流行した理由も、実は版画が関係しています。
  

判子(はんこ)の由来は浮世絵が大流行した理由と同じ版画だった

浮世絵の作品タイプは2種類ある

浮世絵は筆で直接描くタイプと、版画のタイプがあります。
  
筆で直接描くタイプは肉筆画と言われ、作品は世の中に1枚しか存在しない絵となります。
  
それに比べると、版画タイプは同じ版木から何枚もの絵を印刷することができます。
  
下絵を描く人、版木を彫る人、版画をする人と分担することも可能だったのです。
  

浮世絵が大流行したのは版画のおかげ

  
版画タイプの浮世絵は、作業を分担することで、大量に絵を印刷することができました。
  
そのため、版画タイプの浮世絵は低価格!
  
一般庶民にも親しまれ、浮世絵は大流行したのです。
  
版画の技術がなければ、浮世絵は大流行してなかったかもしれません。
  

判子(はんこ)の由来は浮世絵が大流行した理由と同じ版画だった

  
版画のおかげ浮世絵は大流行しました。
  
判子の由来も浮世絵の版画です。
  
もし、浮世絵が大流行していなければ、判子と呼ばれていなかったかもしれません。
  



判子(はんこ)の正式名称は印章

判子(はんこ)の正式名称は印章(いんしょう)と言います。
  
印章は、奏の始皇帝が地位を高める方法として使い始めたものです。
  
皇帝が使うものは「璽(じ)」、臣下の使うものを「印」、大将軍の印は「章」と呼ばれていました。
  
この「印」と「章」が一緒になり、「印章」と呼ばれるようになったようです。
  

判子(はんこ)の歴史

世界最古の判子(はんこ)は古代メソポタミア

  
世界で最初に判子が使われていたのは、古代メソポタミアと言われています。
  
使われていた判子のタイプは2種類ありました。
  
一つは、石や骨に文字や絵を彫り、それを粘土板の上に押し付けて使うタイプ。
  
もう一つは、円柱形の石や骨の側面に文字や絵を彫り、粘土板の上で転がして使うタイプ。
  
どちらも粘土板に判子を押し付けるので、判子を押した跡の粘土板の文字や絵は立体的でした。
  

日本最古の判子(はんこ)は弥生時代の金印

  
日本で最も古い判子は、弥生時代に中国の皇帝から贈られた「漢委奴国王」の金印です。
  
贈られた当時、日本では漢字や判子が知られていませんでした。
  
そのため、判子として使われていたのか、はっきりとはわかっていません。
  
この金印は純金で作られていて、一辺が2.3cm、つまみの部分が蛇の形をしている物。
  
1784年に福岡県の志賀島で発見されたもので、現在は福岡市美術館に展示されています。
  

日本で判子(はんこ)が使われ始めたのは飛鳥時代

  
日本に判子が伝えられたのは、大化の改新、遣隋使によって伝えられました。
  
実際に使われるようになったのは、大宝律令の中で印章制度が定められてからだと言われています。
  
この時の印章制度では、4種類の印が使われていました。
  
内印(天皇)、外印(太政官という律令制の国家最高機関)、その他の諸国印、諸司印です。
  
中央政府が地方に送る重要文書には、必ず内印が押されていたそうです。
  

日本で判子(はんこ)が庶民に使われ始めたのは江戸時代

  
一般的に広く使われるようになったのは、江戸時代です。
  
行政制度の確立、商業の発達により、判子が一般の庶民にも徐々に浸透していきます。
  
明治時代になると印鑑登録制度が始まり、判子は生活になくてはならない物になっていきます。
  
それは現在でもほぼ変わらず、銀行や公的書類など重要な手続きには、必ず判子が必要です。
  

判子(はんこ)と印鑑の違い

  
判子と印鑑は同じものだと思われがちですが、実は別のものです。
 

 
このように、しっかりと名前がつけられています。
  
ただ判子を押しただけの時の跡は印影ですが、それが登録されると印鑑となるのですね。
  
私は判子と印鑑は同じものと思っていたし、使っていました。
  
全く違うものとわかったので、これからはしっかりと使い分けられるようにしたいと思います。
  

判子(はんこ)の日がある

日本には判子の日があります。
  
10月1日は全日本印章業協会により、「印章の日」とされています。
  
明治時代に太政官布告が出され、証明書には必ず実印を押さなければならないと定められました。
  
これが始まったのが10月1日で、その記念して制定された日のようです。
  
毎年9月の最終日曜日に京都の下鴨神社では、印章祈願祭が行われています。
  
印章祈願祭では全国から役目を終えた古い判子が集まるので、祈祷するそうです。



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